「なんでガイドになったの?」のはなし
専業主婦だった私は、娘たちがそれぞれ小学校、幼稚園へ上がると思いっきり自分の時間が持てるようになった。待ち望んでいた。子育ての間は公園でお母さんたちと情報交換をしたりしてそれなりに有益だったが、「このまま私の人生は終わるんだろうか」と悶々としていたのも事実である。

何の特技も技術もないオバサン。絵もかけないし、歌は音痴、スポーツはキライ。大昔、唯一好きだったのが英語。でも英検2級。

日本語なら大丈夫かもしれないという甘い考えで、国際センターでの「1対1で日本語を教える」というボランティアに登録する。その時たまたま紹介してもらったのがロンドンから来たばかりの英語講師。日本語を教えると簡単に言うけれど、ちゃんと勉強していない素人がなかなか教えられるものではない。それでは生活面のサポート。銀行口座を開くのを手伝ったり、スーパーでの商品を教えたりしていた。

よく尋ねられるのが日本の文化ついて。例えば「明日は祝日だよ」と話す。何の意義があるのかという問い。何のために鳥居は建っているのか?神社と寺って何が違う?日本人は結婚祝いや香典に何でお返しをする?・・・・限りない。

それに対して何にも答えられない自分がいた。「歳ばっかり食って無知丸出し、これはかなり恥かしいかもしれない」イマイチ言いたいことを英語で伝えることもできなかったし、それなら英語と日本文化を一緒に学べるところはないものか。たどり着いたのが語学学校の週1回「通訳ガイドコース」だった。正直その頃は通訳ガイドなんて名前も聞いたことがなかった。

初めの半年は苦労、苦労また苦労。宿題は山のように出るわ、単語は見たことも味わったこともないものばかりだわ、毎日辞書ばっかり引いていた。クラスでは一番ビリやし…自転車で通っている私の姿を見た近所の人が「ものすごしんどそう、何かあったん?」と聞いてくるほどグッタリ落ち込んでペダルをこいでたらしい。でも授業の内容はとても楽しく、毎回「目からウロコ」状態だった。今はやりの「へえ〜」の連続。

学校に通い始めて2年目になると少し余裕が出てきた。たまーにボランティアで外国人を案内したりもしていた。こちらが考えもつかないような質問が出たりして、これが楽しいのだ。

ガイド試験受験を年中行事にしようと心に決めた3年目。びっくり仰天の1次合格。なにかの間違いでは?

この日から3週間、2次に向けて1日6〜7時間のお勉強が始まった。ホントきつかった。大学受験の時なんて軽かったよと思ってしまったくらい。今回落ちたら二度と試験は受けないと決めていた。

2次試験は口から心臓が飛び出しそうなほど緊張したが、「広島のうまいもん」を聞かれ「お好み焼きですよ、やっぱり」と答えたら合格。3次は地理・歴史のお勉強。トイレの壁には山、川、国立公園、国定公園の書かれた日本地図。ご飯作りながら「ナクヨウグイス平安京」

晴れて免許を交付されたのが41歳を過ぎてから。学生時代からお仕事をされている人なんて同じ歳でもキャリアは20年。ここでいじけてはいけないのだけれど、ヤバイところに足を踏み入れてしまったなあと後悔したことが何度もある。

でも、何と言っても仕事は楽しい。同じ場所を案内しても相手が変わると質問も反応も全く違う。桜の頃、紅葉の頃、灼熱地獄の夏。季節屋外労働者である。

「今日はどんなお客様だろう」
駅のトイレの鏡の前で深呼吸して気合をいれてる変なオバサンを見つけたら、きっとそれは私です。